吉原遊郭…と言ってもイメージできない方もいらっしゃると思いますので、簡単にご説明させていただきます。
吉原遊郭とは、現在で言うソープランドの集合した街です。
1590年頃から賑わいを見せ、遊女と呼ばれる女性は、男性相手に夜の接待をする・・・という職業なんですね。
当時の遊女は、今で言う芸能人並みに人気があったとされています。
どんな男性でも喜んでお相手する・・・という訳ではなく、身分のしっかりした男性でなくては、遊女を抱くことができませんでした。
遊女と一晩遊ぶだけで、多額の金銭がかかることでも有名です。

お客様に喜んでもらうための高価な着物に、高価な布団。
吉原遊郭では、洗濯をどのようにしていたのか気になりませんか?
ここでは、吉原遊郭のクリーニング事情についてふれてみたいと思います。
遊女たちの着物は高価なものばかり

まず、遊女はお客様商売ですので、いつも綺麗に身支度を整え、男性のお客様をお待ちしなければならないお仕事です。
しかし、借金のある遊女たちは着物を何度も購入できるはずもなく、年に三回ほど高価な着物を購入し、着まわしていたようです。
この時代では、洗濯というのは現在のように頻繁にするという感覚はありませんでした。
遊女は一枚一枚の着物を大切に扱い、できるだけ洗濯しなくても良いように工夫していたようです。
遊女たちが着ていた着物ですが、当時では水洗いできる素材はなく、洗濯するのであれば糸をほどいて反物の状態に戻してからクリーニングを行わなければならなかったので、非常に面倒なことだったんです。
着物をほとんど洗っていなかった遊女も多く、衛生面を考えると今では考えられませんね。
しかし、遊女たちの着物を扱う姿勢というのは、本当にマメであり、ほんの少しでも汚れたらすぐにハンカチで叩くように落とすなど、徹底していたようです。
商売道具の着物を汚してしまい、その度に洗濯していたら、高価な着物が崩れてしまう可能性もあり、遊女は着物の扱いには非常にシビアだったのです。
水をかけてゴシゴシ洗う…というのはタブー中のタブー。
絶対にしてはいけないことだったのです。
現在の着物は、水洗いできるものが多く、非常に助かりますよね。
若い世代の方は「水洗いしちゃいけない着物なんてあるの!?」という感覚だと思います。
遊女たちのお布団事情とは

遊女たちにとって、着物の次に高価なものは布団です。
遊女にとって布団は、なくてはならない商売道具であり、同時にお客さん次第では汚れてしまう危険性もあるものでした。

現在は、子どもがオネショしても良いように、専用のシーツもありますし、シーツカバーを洗濯するだけでお布団は衛生的に守られます。
しかし、吉原遊郭があった当時は、シーツカバーというものも販売されていませんでしたし、布団を汚してしまったら即アウトだったのです。
お客様のお相手をしている最中に、布団を洗濯するなんてできませんものね・・・
ちなみに、遊女の接待の一つに、「裸寝」というものがあり、これは言うまでもなく、裸になってお客様に添い寝するという接待。
お客様ももちろん裸ですので、布団を汚してしまうリスクは大きかったのです。
遊女たちが、どうやって布団を洗濯しなくても良いようにしていたか?
実は、すごくシンプルだったのです。
『布団を汚すような汚い遊び方をするお客様は断る』
もしくは
『お客様の前で、他の男性に手紙を書いたりなどの嫌がらせをして来客できなくする』
このような方法で、嫌なお客様をお断りしていたそうです。
当時の遊女は、現在で言う芸能人。
お断りする権限も、お客を選ぶ権限もあったのです。
よく当時の吉原遊郭をモデルにした映画などは、「悲しく弱い女性」を描いていますが、とんでもない!
人気の花魁ともなると、いくら身分の高いお客様でも、初回から遊ぶことはできず、お金だけ置いてこなくてはならないシステムだったのです。
花魁が「いいですよ」と言うまで、何度もお金だけを持って足を運んだお客様もいます。
まとめ

悲しく弱い遊女。
世間のこのイメージは個人的には好きではありません。
彼女達は、強く気高くプライドを持った美しい女性だったと思います。
悲しい事情で遊女にならなくてはいけなかった女性もいますが、いざ裸体になるときは芯を持って自分を奮い立たせていた立派な女性たちだったのです。
洗濯をすることがないよう、着物や布団を大切に扱う遊女。
これって、私たちが「清潔でいたいから何度も洗濯をする」という考え方とはかけ離れていますよね。
どちらも間違ってはいませんが、昔ながらの考え方も大好きな私です。
しかし、遊女のほとんどが、親に売られてしまったりなど、悲しい理由で奉公に出なくてはならない事情があり、好んでこの世界に入ったという女性はほとんどいませんでした。
遊女は、お店に多額の借金をしており、お給料のほとんどが借金返済に消え、高価な着物を着ていても、自分自身のお財布が満たされることはなかったと言います。