第二次世界大戦中、日本では国民の戦意昂揚のために数々の標語が生まれました。
その中でも最も有名と思われるのが、
「欲しがりません勝つまでは」
やはり、これに尽きるのではないでしょうか…
戦時中、国民の生活は「配給制度」に則り、あらゆる物資の消費量が制限され、入手できる量はごくわずかに抑えられていました。

しかし、それもこれも全てはお国のため…
日本中に「欲しがりません勝つまでは」の精神が根付いていたのです。
そんな中、とりわけ深刻な物資不足に陥っていたのが「油脂類」…つまり、石鹸です。

洗濯用を含む家庭用石鹸は、1941年(昭和16年)頃から統制が始まり、翌年の1942年7月には配給で割り当てられる量が決定されました。
当時の記録によると、4人家族に支給される石鹸は月2個(化粧石けん85g、洗濯石けん140g )に過ぎず、これが地方になるとわずか1個という大変厳しいものでした。
これが翌年、1943年(昭和18年)年になると、浴用・洗濯用兼用の「ベントナイト」と呼ばれる戦時石鹸の配給がスタート。
ベントナイトとは成分に粘土を用いた石鹸で、純粋な石鹸成分が30%、残りの70%は粘土や白陶土(カオリン)といった配合になっていたそうです。
当時の戦時石鹸(家庭用一号)はひとつ45gで、香料も色素も入って無ければ当然包装もされていない、どす黒い切餅みたいなものだったとか。
たったの45g…その少なさがおわかり頂けますでしょうか?
大体、現在の標準的な石鹸の半分くらいのサイズになります。

それを浴用だけではなく洗濯にも使わなければいけないという、大変過酷な生活を国民は強いられていたのです。
3年ぶりに石鹸の配給が再開!しかし…
やがて、第二次世界大戦も終結を向かえましたが、深刻な物資不足は改善されないまま1年の月が経った1946年(昭和21年)5月。
およそ3年ぶりに浴用・洗濯兼用石けんの配給が再開されたのです。
つまりこれは、戦時中の1943年(昭和18年)~終戦後の1944年(昭和19年)くらいまでの間は石鹸の配給がストップしていたということ。
ところが、この時に支給されたのは戦時中と同じわずか45gの浴用・洗濯兼用石けんが、「1年で1人1個」、それから2年後の1948年(昭和23)年になっても「3個」までという制限がなされ、深刻な物資不足は依然として続いていたのです。
1年に1個…しかも、現在市販されている物の半分程度の大きさしかない石鹸では、当然足りるわけがありませんよね。
しかも、その成分は殆どが粘土に近いようなもの…石鹸としての効能はほとんど満たしていなかったのではないでしょうか。
そのため、石鹸の配給再開後も、多摩川では洗濯物を足で踏み洗いする光景が多く見られたそうです。
そうした結果、「闇市」では戦前の良質な石鹸が高値で取引されると同時に、質の悪い粗悪な石鹸も多く出回るようになりました。
それでも、やはり石鹸は今も昔も私たちの生活には欠かすことのできない必需品であったため、多くの国民は石鹸を求めて足しげく闇市へと通ったそうです。
たとえ闇品であっても、石鹸を入手できる人というのはまだ恵まれていた方なのかもしれません。
中には当時の石鹸事情を物語るエピソードとして、「石鹸を持っていれば女性が買えた」という話も残されているほどです。

配給制度の廃止と現代社会が抱える問題
その後、統制解除で配給制度が廃止され、石鹸をはじめとした日用品が自由に入手できるようになったのは、1950年(昭和25年)の夏頃に入ってからのこと。
戦時石鹸に含まれていたベントナイトやカオリンは、現代で言うところの「泥のコスメ」や「泥の美容」といった分野で使われる成分としてご存知の方も多いと思いますが、当時の生活では当然そうした美意識を持つことなど許されず、ただただ粗悪で小さな石鹸をほんのほんの少し宛がわれるだけの過酷に満ちた日々でした。
年にたった45gの石鹸で、洗濯はもちろん洗顔、浴用、台所用、洗剤といったソープ類全てをまかなわなければいけないというのは、どれだけ大変なことだったでしょう。
しかも、その成分は70%が粘土という代物です。
現在、スーパーやドラッグストアーではひとつの石鹸が、安い物であれば100円もしないで店頭に並べられています。
また、ご家庭では、小さく使いにくくなった石鹸というのはどうされるのでしょう?
多くの場合、そのまま捨てられてしまいます。
物が溢れ、そのありがたみが薄れてきてしまっている現代社会。
「MOTTAIANAI(もったいない)」
近年、日本から生まれた「もったいない」という精神を世界の合言葉として広めようと、ケニア人のワンガリ・マータイさんを中心とした世界規模での「MOTTAINAIキャンペーン」が、各国で進められています。
今こそ私たちも、「MOTTAIANAI(もったいない)」という言葉が持つ重みを、再度認識すべきなのではないでしょうか。
たとえば、身近な洗濯石鹸から…