クリーニングの歴史~洗濯の今昔物語

みなさんが毎日のようにしている「洗濯」

洗濯の歴史はいつから始まったと思われますか?

人類が衣服を身にまとった頃より、洗濯とは今でも切っても切れない縁で繋がっています。

「洗濯の歴史や秘密」、あまり考えることは少ないと思いますが、調べていくとなかなか面白いものでした。

ぜひこの機会に一緒に学んでみませんか?

洗濯は神聖なるもの!?

人が洗濯を始めるきっかけとなったのは「宗教心」からだといわれています。

沐浴で体を清める感覚と同じで、神の前に出るときには穢れのない姿でいようと努めたのが始まりです。

 

「旧約聖書」の中では、シナイ山で十戒を授かる人々に、モーゼは着ていた衣服を洗濯させていたと書かれています。

また、日本でも洗濯は神聖な行いとされて、今もなお数々の記録や祭りなどでその風習が残され、行われています。

  • 三重県の伊勢市を流れる五十鈴川(いすずがわ)が、御裳濯川(みもすそがわ)と呼ばれた由来は、この川で倭姫命(やまとひめ)裳の汚れを落としたという故事がある。
  • 京都の祇園祭りでは、神輿を洗い清めるという作業があり、四条大橋の中心では鴨川の水を榊に浸し神輿にかけてお清めする。
  • 九州の博多祇園祭り、東京の富岡八幡宮の深川祭りなどでも、神輿にお清めの水が盛大にかけられる。

他の地方でも、お祭りのときに神輿を川や海へ担ぎこんだり、船にのせたりする儀式はどれ

も汚れたものを清める神事であって、神を民衆の前に出てきていただこうとする人の願い

であったわけです。

最古の記録はエジプトにあり!

歴史上一番古いとされている洗濯の記録は、有名な古墳の壁画に描かれたもので、約3800

年前のエジプトにありました。

■エジプト時代

奴隷たちが洗濯ものを石の上に置き、棒を使い「たたき洗い」している風景が描かれていま

す。

■ギリシャ時代

貴族の娘や侍女たちが泉で衣服を浸し踏み洗いをしていたようです。

■ローマ時代

近代的になり道具を使い洗濯をしていました。

ポンペイでは陶製の洗濯機が使われていた記録が残っています。

洗濯に欠かせない石鹸はいつからあったの?

一世紀頃のポンペイに石鹸工場があって、そのころから石鹸が作られていたようです。

ローマ時代には「フーラー」という布さらし業者も現れていて、さしずめクリーニング屋さんの元祖というところでしょうか。

フーラースアース(珪酸アルミナ)を使用して毛織物を洗い、漂白には硫黄を使っていました。

日本で最初の洗濯剤として使われていたのが「わらの灰(灰汁)」です。

その他には「米のとぎ汁(米汁)」や「ムクロジの実」「サイカチ」「アズキの粉」なども使用されていました。

現在の石鹸が渡ってきたのは室町時代で、南蛮船でポルトガルからやってきたようです。

面白いことになぜか、当時石鹸は薬用品として使用されることもあり、これは江戸時代まで続き、平賀源内「物類品隲」の書物にも薬品としての記述が残されています。

洗濯機の歴史を辿る

洗濯機が使われるようになったのは19世紀中ごろで、当初の洗濯機はハンドルを左右に動かす方式のものや、

洗濯板を機械の中に取りつけて手で撹拌するといった、とてもシンプルな揺動式のものでした。

1845年、手回し式の洗濯機がウイリアム・ストラウトによって発明されます。

その後、人の力を使わない水圧で動く洗濯機は1900年にアメリカで生まれ、5年後になってようやく「電動式洗濯機」が開発されました。

日本で初めて家庭用の「電気洗濯機」が使われるようになったのは、明治の末期になってからで、アメリカ人によって持ち込まれることが多かったようです。

 

やがて大正12年の大震災以降より、学生の制服をはじめ急速に着るものが洋風化され、一般家庭でも洗濯機が必要となりはじめます。

こうして昭和28年、三洋電気から日本で最初となる「角型噴流式洗濯機」が発売されました。

その後、昭和41年「全自動洗濯機」が開発されます。

これにより、長年の間続いてきた洗濯による労力と時間から解放され、余暇が生まれました。

 

クリーニング屋さんの祖先は紺屋だった!?

クリーニング屋さんの始まりは室町時代にまでさかのぼります。

この時代には「紺屋」(貴族やお金持ちの衣服をつくる商売)がいて、彼らは洗濯業も兼ねていたようです。

次に江戸時代になると「洗濯女」が登場します。

大商人の家、裕福な屋敷をまわり、洗濯物を集めては共同の井戸で洗う仕事です。

洗濯女とは「洗濯をする女性」といった意味ではなく、髪結い女と同じで立派な仕事で人気もあったようです。

これは、当時の浮世絵からもわかるように、美しく働く洗濯女が盛んに描かれています。

クリーニング屋さんの始まりは、こうした紺屋の「張り物屋」「洗い物屋」が次第に別れ、誕生していきました。

初期のクリーニング屋さんは水洗い専門だった

明治初期のクリーニング屋さんでは、水を使い「ソーダ」と「石鹸」で、板や石段に叩きつけたり、板の上にのせ棒で叩くやり方でした。

動力を使った洗濯機によるクリーニング屋さんの始まりは、明治31年に東京の芝に開店した「西洋クリーニング店」といわれています。

また、ドライクリーニングは18世紀頃に、油性の汚れが油で落ちることを偶然発見したことか始まります。

当初はしみ抜きに使われる程度のものでしたが次第に研究が重ねられ、その結果、この洗濯方法にはベンゾールが適当であることがわかり、その後に「無水洗濯」と名付けられて、1855年パリ郊外に工場を造ったのです。

この洗濯方法が日本に伝わったのは明治40年で、東京・大井町に初となるドライクリーニング工場が白洋舎の研究によって完成しました。

 

まとめ

いかがでしたか?たかが洗濯、されど洗濯…。

こうして歴史を辿っていくと「洗濯」にも奥深いものがあるのだな…と実感します。

今の暮らしができるのも、昔の人々の知恵と努力の賜物なのですね。